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ここは一応キリスト教系の学園であるがため、付属の幼稚舎や初等科では学校行事の中に小さな観劇会が幾つか組み込まれていて。感謝祭に降誕祭、春の初めには復活祭。そういったお祭りの日が近づくと、キリスト教ならではな宗教行事に関しての蘊蓄などなど、他愛のないお芝居にして幼い子らへと説いており。そこで演じられる可愛らしいものから、学園祭にて催される定例公演、それからそれから、アマチュア劇団対象の全国コンクールに至るまで。幅広い活動は、そのどれを取っても決して中途半端な惰性によるものでなんかなく。それが証拠に、お子様向けのものにまで、プロの世界の方々からの注目度も いや高く、取材が詰め掛けるのも当たり前。そんな、白騎士学園大学部内 演劇サークル“秋海棠”の、今年の秋の学祭での定期公演は。実を言うと、とんでもない事情を孕んでもおり。
「なんの、このくらいの華やかな事件がついて回った方が、いっそセンセーショナルですってばvv」
宣伝代わりにもなるってもんだしなんて、お気楽そうに笑って見せた誰かさんのお隣りにて、そんな彼に引っ張り出されたというとばっちりをこうむった誰かさんが、やれやれという渋面を作っている。
「…勝手なことを言ってんじゃねぇよ、こんのサクラ馬鹿。」
「あ、ひっどーいっ。妖一だって、そんな好き勝手を許すこたないって言って協力してくれたくせに。」
相変わらずな方々による痴話ゲンカはともかく。(笑) 当大学の所属学生にして現在の主幹、武者小路 紫苑さんという二回生の書いた脚本を、某商業劇団が勝手に流用。無断で借りたのみならず勝手な改編を施した上で、大々的な公演を計画しているとの情報が入り。違法であるはずのそんな無体が、だのに、巧妙な手管により“合法契約”を成立させられてもいた周到さ。文句があるなら法廷で争ってもいいんだという開き直りを示した、そんな恥知らずな輩の厚顔さへと、堪忍袋の緒を切った某お兄様の意向の下。演劇界のみならず、そこを経済面で支えている政財界へまで及ぶほどもの伝手を生かしての様々に、手を尽くされたその結果。そっちの公演に先んじて、錚々たる顔触れをそろえた席にて“世間一般への公開”をすることで、こっちこそが本物である証しを立てようという、
『こんな正統派な対抗策もあるまいってね。』
白々しくも澄ましている御曹司様へ、
『金やコネをちらつかせなきゃ、到底整わなかった部分も結構あったんじゃねぇか?』
お金で買われた訳ではないながら、こちらさんも随分と斜めからの関与になろう協力を請われたクチの金髪の悪魔さんなのだろう。袖に出来なかった自身への自嘲半分、思わずの茶々を入れたところへと、
「し〜。せっかくの甲斐谷くんの見せ場が聞こえないよ?」
吐息どころか、ふわりと近づけた唇の熱さえ届きそうなほど、思わぬほどもの間近までお顔を寄せての耳打ちをされ。そこはやっぱり…憎からず思ってもいる間柄。不意を衝いての温みという直接的な感覚へ、
「〜〜〜〜〜。////////」
たちまち真っ赤になってしまい、口を噤んだ蛭魔さんだったりしたあたり。桜庭さんたら口封じの手管もまたお上手になられたことよ。(苦笑) そんな彼らが見やっている先、舞台の上では。宮廷の中庭という拵えのセットにて、フランス人形もかくやという裾の長いドレスをまとった美少女が佇み、急変しつつある王宮の事情を憂いている場面が繰り広げられており。男子校の舞台とは思えぬ華やかさに大きく一役買っているこの可憐な少女。急遽“客演を”という依頼を受けてしまった甲斐谷くんの役どころは、凛と気丈な貴族のお姫様だそうで。放埒な後継者の振る舞いに、民衆の不満がいつ暴発して革命へとなだれ込んでも不思議ではない、そんな不安定な情勢の中世のとある国家にて。運命に翻弄される王家を支える忠臣の娘にして、近衛部隊の隊長に淡い恋心を抱いてもいる女の子。そんな微妙な役回りをといきなり振られた甲斐谷くんだが、
「早々とファンクラブが出来そうな勢いだよねぇ。」
講堂内の誰も彼もが、舞台の上へその全ての注意を釘付けにしているのは。お話の展開の巧みさも勿論 功を奏していたけれど、それ以上に…不思議な魅力を発揮している少女の存在感に心奪われてのこと。今回の企画の駄目押し、万全を帰すためにと桜庭さんが仕上げに打った手が、高等部の彼を引っ張り出すことであり、
「門外漢にも分かりやすいネタまで仕込んだんだ。これで、どの方面のプレビュー記事でも大々的に報じてくれる。」
堅実にして手堅い実力派たちの絢爛豪華な舞台、今が旬な若手脚本家、注目の新人は萌え心をくすぐる美少年とくりゃ、確かに…お堅い劇評のみならず、芸能誌や果てはスポーツ紙や少女雑誌のグラビアなどでさえ、取り上げてくれるに違いなく。
「で。問題の劇団がどんなキテレツな仕掛け三昧の“娯楽作”を打ち出そうと、これの二番煎じという評は免れられないと?」
「そゆことvv」
盗作とまで言ってはいけないのかも知れませんが、話題の映画とどこかにている日本のTVドラマが、ロードショーの時期と前後して製作されて“おややぁ?”なんて思った経験はございませんか? ノッティングヒルの恋人たち…だったかしら、超有名な女優さんがごくごく普通の青年と恋に落ちたことから、たちまち青年の周辺へはパパラッチが取り囲むは取材攻めに遭うわで、穏やかだった生活が一変、大変な騒動となってしまう…という映画の話題と相前後して放送が始まったのが『スタアの恋』じゃあなかったか。ディカプリオの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』と重なってたのが、タイトルは忘れたけれど織田某が演じた、戦前の日本と半島を股にかけた青年詐欺師の日本映画。も少し挙げるなら、ピクサーの『バグズ・ライフ』も何か似たような昆虫主役のCG作品と時期がかぶってなかったか。こちらはコンセプトこそ全然別物だったけれど、やはりCGが話題になった『キャスパー』と『ジュマンジ』では、どちらも行方不明になってしまった息子のため、富豪の父親が財産も残りの人生の全精力もなげうったという描写が出て来て、これがアメリカの父性愛の定番なのかと、だからかぶっているのかと納得したほど…だったのだけれど。そういう点へ“あれれぇ?”と感じる2作品があった場合、どうしたってどちらかがオリジナルで、残るは模倣と評されるもの。それを狙っての援護射撃を買って出た誰かさんへ、
「こんな小細工なんて必要なかったんじゃねぇの?」
実を言えば演劇なんてのは関心外だった自分でも、その視線をうかうかと外せないほどに。登場人物たちの交わす掛け合いの呼吸にも、舞台の上を右往左往する役者たちの動きや演技にも、思わず膝を叩きたくなるほど絶妙な、手の込んだ仕掛けも満載の、よくよく練られた出来の正に秀作。自分たちが周囲で“わっしょい・わっしょい”と無粋な合いの手をかけたのが、むしろ つや消しになったかもと言いたげな元諜報員さんへ、
「かも知れない。」
桜花産業の跡取りさんは、いやにさらりと言ってのけ、おや?と怪訝そうなお顔を向けて来た愛しの君へ、
「でも。
こんな行動を起こすからって言ったらサ。
僕の手回しだけで大丈夫かって、ヨウイチも絶対に動いてくれるでしょ?」
しゃあしゃあと言ってのけた桜庭くんへ、
「………ほほぉ。」
まんまとノセられたことへ怒るか、それとも。それもまた我が身の至らなさ、さすがにそこへまで気がつけなかったとは、こりゃあ俺様も錆びついたもんだと笑ってくれるか。
“さぁて、どっちなんでしょうね♪”
性懲りのない駆け引きを繰り返す恋人さんたちへ、これにばっかりは傍観者の高見さんが、客席の暗がりの中、こっそりと苦笑したそうな。いやはやまったく、お後がよろしいようで………vv
◇
古くからの学舎の並び立つ高等部の敷地とは少々違い、大分遅れて拓かれて、講義用の教室や何やが建てられた大学部の敷地には。ずんと樹齢も重ねているそれだろう、威容さえ放つほどに立派な銀杏や楓の古木が立ち並び、この季節には燃えるような赤や黄金の黄色が、日に日に競い合うようにその色合いを深めてゆくのが美しいばかり。何の、楓などは緑も残るうちの、黄緑、橙、それから赤へと、1つの樹に贅沢なグラディエーションがあった方が絢爛な錦織りのようで華やいで美しいとか。それならば、桜やツゲの赤と常緑の茂みとのコントラストを愛でればいいまでのこと、楓がやはり燃えるような紅に染まりきり、芝の緑に映える様が一番だとか。こちらの庭々の眺めのよさを重々知っていればこその、どっちが情緒が深いものかという問答まで聞かれるこちらは、そういう話題を楽しみたがる、歴代OBの詰め掛けし、武道場に設けられた演武披露の会場で。
「………。」
日頃からも部員たちが日々心身を磨き精進している道場なれば、板張りの床はよくよく見れば細かい傷も多々あるのだろうが。演者のみをそこへと置き、観衆たちは遠巻きに眺むるという遠景の中にあっては、手入れのいいことから つやの出たその光が、水表のそれにも似て映るほど。深色をした泉の上、危なげなく進み出た演者はだが、その身が水に浮くような軽々しい存在では到底なくて。その身にまとった装束は、真白き小袖と濃色の単(ひとえ)に袴。格闘武道の道着というよりも、神事奉納用の正式な和装のような雰囲気でもあり。そんな格式ばったような仰々しいいで立ちが、だが、衣装の威勢に着られてしまわず、当人の威容にて余裕でねじ伏せての立ち姿は、荘厳頑健にして ただただ凛々しい。相当に鍛練を積みし、充実した肢体であるからのみならず、
――― 哈っ。
拳を作りし大きな手が握るは、紛うことなき本身の真剣。いずれ名のある名刀か、刃を研ぎ出したその波紋の模様も青々と妖冶。糸をぎっちりと巻かれた柄をよくよく引き絞った手元は腰近く。そこから伸びた切っ先が留まっているのは使い手の双眸の高さで、これを“正眼”と呼ぶ。そこから一気に振り下ろされた刃が、銀の軌跡を中空に描きながら、次には左へ薙ぎ払われて。その場の空気さえ切り裂いているかのような、重みを帯びて物凄く。
“…すごいや。”
何とか開演5分前に間に合った瀬那が、一気に駆けて来たことから弾んでならない、肩での呼吸をやっと整えられた頃合いに始まったのが、一番観たかった意中の人、進さんの披露する“型”の演武。大学の剣道部ではまだ一回生部員でありながら、なのに、沢山のお客様へとその腕のほどを披露する代表として早速選ばれておいでな彼だったのが、セナにとっても我がことみたいに嬉しくてならなかったほど。寡黙で、でも、重厚な存在感のある、印象的な人。無言のままに淡々と黙々と、相手もないままこなされる演武だからこそ、彼自身の本質だけが、際立ち、主張されていて。隙のない所作、鋭くも安定した足さばきや身のこなしの全てへ、観衆の皆様が何とも言えぬ溜息を洩らす。白銀の鋼がさくりと鋭く、だが無造作に裂いたその宙へ、無限の闇が漆黒の花を鮮やかに咲かせ。なのに、翔る疾風がひたりと止まると、そこへと生まれるは深い深い静けさの澹あわい。
“………あれれ?”
ふと。打ち合う相手のない“演武”だからだろうか。今日の進さんの所作の一つ一つには、いつにもまして熱がないようなと、気がついたセナだったりし。虚ろだというのではなく、それはそれは鋭い冴えや切れには、確かな形や軌跡が残像として瞼の裏へも残る。存在感だって重々感じられるのに…どういうものか、見ていて徐々に上がってくる高揚感は、だが、妙に冷たくて素っ気なく。勢いに煽られて発する熱なぞは、雑念と見なされ、不必要だからとそぎ落とされたものなのか。だとすれば、剣の練達に熱意は無駄なものだということなのだろか。
“…そんなことはない筈なんだろうけど。”
こうまでとなる過程、ここまでのものを彼が 我がものとして身に染ませ培った、その練習や歳月には、それは懸命真摯な努力や集中、熱意が少なからず添っていたに違いなく。それが証拠に、他の部員の方々や、試合のときの対戦相手、それが手ごたえのあるお相手な時は、不思議とあの進さんでも高揚する気持ちを所作に滲ませることがあると、剣についてはろくすっぽ知らないセナでさえも見たことがあって。一縷の油断も許されず、息つく暇さえ片端から叩き潰されて。ただただ相手を追い落とさんと、丁々発止と交わされる剣戟の、いかにも容赦のない激しさや凄まじさを、即妙な一撃にてねじ伏せたり、逆に思わぬ快打にてねじ伏せられたり。そんな…途轍もない切迫感が間断無く続く、一瞬たりとも気を抜けないような打ち合いや切り結びなのに。それが楽しいとでも言わんばかり、激しい気概をあらわにし、自ら突っ掛かってゆく戦法も辞さない進さんなの、何度か見たことのあるセナにしてみれば。これは別物と判っていつつ、それでも何だか…違和感のようなもの、覚えてしまって仕方がない。持ち得る熱情を大いに吐き出しての激しい精進をこなしつつ、されど、奥ゆかしきもまた、日本人の美徳であったりするから、それで。そんなものを陳情するは見苦しいからと隠してしまい、見せない方がいいということになっているのだろうか。こちらはあくまでも“型”であり、不要なものを削ぎ落としてこその、機能美だというのはセナにも判らないではない。明鏡止水。凛として清冽。清々しいまでの立ち居振る舞いは、究極まで到達すると…こんな風に冷ややかな、欠けたるところのない“美”となって収まるということか。雄々しきその存在は、この世界に唯一息づく華でありながら、だのに色を嫌っての墨青の静けさで。刃を薙いではただ淡々と、清めるようにこの場を静めてゆくばかり…。
その真摯さに荘厳な静粛を感じつつも、終盤に待ち構えていた立て続けの剣戟による構成が、その尋常ならざる速さと冴えにて観衆の鼓動をも煽って高めたか。全てを披露した演者が、やはり鮮やかな手並みにて、破邪の剣を鞘へと収めて一礼してもなお、しばらくほどは水を打ったように しんと静まり返ったままで。
「………。」
進行担当のマネージャー部員さえ、場に出てっていいものかを逡巡したほどの、妙な間になり。どうしたものかと、皆して戸惑って見せていたものの。当の演者がそれは無造作にペコリと頭を下げたため、ああ…とやっと我に返れたらしく。すると今度は割れんばかりの拍手が場内を満たし、何も知らずに近場を通りかかった学生が、いきなりの大喝采に飛び上がるほど吃驚してしまったほどだったとか。場を取り繕うだなどと、得手不得手を問う以前の問題であるとしていそうなご本人も、さすがに大舞台を任されたのだという自覚はあったものか。日頃の機敏さからは少々緩い動作での帰還、裏方楽屋にあたるところまで淑やかな佇まいのままで下がって来たのだが、
「…進さん。」
事情を知る部員が気を利かせてくれたものか、観客用の席から駆けつけたセナを通してくれていたようで。控えの間として設けられていた衝立の陰、大仕事が済んだとあってそれなりの緊張も当然あったのか、自然なそれとして大きな吐息をついた彼へ、無邪気な声がかかったのへは、
「あ………。」
はっとして、それから、
「………。////////」
耳の先が見る見る赤く染まった、清十郎さんであったりしたものだから。おおう、こんな珍しいものが見られようとはと。居合わせた先輩方が瞠目してから…小さく苦笑したほど。居合わせた全員の反応だったってことから、日頃どれほど…図太いほどにも落ち着き払ってる後輩さんであることかまで、図らずも判ってしまったような控えの間にて、
「演武、拝見しました。凄かったです。」
大切な人の晴れ姿であったことには違いなく。ちょこりと小さな弟くんから、興奮冷めやらずの言葉とそれから、ほんのりと上気したお顔を向けられて、
「………。」
咄嗟に視線を落としたそのままとなってしまった精悍な横顔が。汗を拭ったタオルに口元を埋めて、しばし、じっと固まったように動かなくなって…幾刻か。
“おいおい、進。”
“何とか言ってやらんか。”
潤みの強い、大きな瞳が何とも愛らしいこの後輩くんが、こちらのいかにも朴訥そうな彼の高等部時代の“弟”だということくらい、年次が1つ2つしか離れてはいない皆様だから、先輩がたも重々承知。とはいえ、この不器用そうな朴念仁が、どんな優しさでもって彼へと接していたかまでは、どなたも知らないものだから。むくつけき男衆揃いの周囲のかたがたの方こそが、気を遣うあまり、総身に棒を飲んだようになってしまい、そのまま目が離せない状況となってしまった場だったが、
「この頃では、演劇部の皆さんへのご協力の“立ち合い”ばかりを見てましたから、お一人での演武ってとっても綺麗で、あのあの、見ほれてしまって…。////////」
柔らかそうな頬を染め、含羞はにかみつつもそうと続けたセナだったので。何にも言わない奴だけど、この子にはちゃんと…照れてしまっての無言なのだとかどうとか、不器用な朴念仁のくせに人には察してもらおうなんて図々しい構えをしている彼の、そういう機微のようなもの、ちゃんと伝わってはいるらしいと判って。やっぱり何でだか、周囲のお心優しきお兄様がたの方こそが、目に見えての安堵の息をおつきになっては、大きな肩をそれぞれに落として見せたりしてらして。まったくもって、はた迷惑なところはどこに行っても一緒な人たちでございますが。(ホンマにな・笑)
「とっても綺麗で、あの、切り合いのための動作には見えなくて。」
どう言えばいいのかな。進さんが極めたいとしていることは、誰かを叩き伏せて凌駕したいってことではないと判ってる。でも、それでも誰かを感じて、誰かを意識しての意志の動きが感じられるそれであり。それに引き換え、今日の演武は、誰か何かとの切り結びを想定したものには見えなくて。
「立ち合いのときの進さんとは違ってて。」
試合や練習での立ち合いでも、さほどに熱くなる進さんではないが、それでも。強い意志の乗った立ち居が勢いよくって、今日観たのとは全然違う。剣を極めたいとする人ならば、どっちも持ってていいお顔だろうけど。何だかちょっぴり、今日のは違和感があったかなぁって。あまりに感情の乗らない、神聖なまでに熱のない所作の全てが、
――― 近寄り難くて、ちょっぴり怖かったかなって。
そんな風に思ってしまったの、どう言えばいいのかなって少々困って。セナくんの側でもついつい言葉を途切らせる。あああ、なんて不器用同士の二人なんだか。これだからホント、ちょーっとでも目を離せないんだよねなんて、桜庭さんから言われてしまいそうな空気になりつつあったところへと、
「型は基本だ。だから疎かには出来ない。」
長い歴史のその中で、さまざまに編纂や推敲を加えられもして辿り着いた、それが基本の“型”だからと。だから自分は、それを余すところなくなぞって自らへ咀嚼したいと思うのだと。演武の間、それなりに張り詰めていたものがすっかりとほどけたか。いつの間にやらいつもの眼差しに戻っておられたお兄様、小さな弟くんが少々しどもどと言葉を選んでいたことへ、ご自分なりの思いで応じて下さって。
“あ…。”
そういえば。禅の修養が確かそういう手順で無の境地へとアプローチするのだと聞いたことがある。食事の作法から掃除で使うホウキの捌き方に至るまで。日常の行為・所作の一つ一つに、そりゃあ事細かに順守すべき“形式”というのがあって、他意ないはずの行動にまでついて回るそれらに準じ、いつもいつも定められた手順をきっちりとなぞってこなされなければならない。手順を追うこと以外に神経を散らさない。そういった手近なところからの集中へと入ってののち、無の境地へと心をいざなうというのが眼目で、日常の全てがこれ修行…となるのだそうであり。
「それを浚っておいてこそ、その先へ、変幻万化という前方へも進める。」
進さんのその言葉とそれから。穏やかな言いようだったのに、何だか…別な温みのようなものが感じられて。
「あ…はい。」
セナの心で、何かが撥ねた。
“そっか、そうなんだ。”
進さんは確かに、自分にとことん厳しい“求道者”ではあるけれど。導きを辿ったその末に何かがあるとし、それを順を踏んだやりようで目指していながら、されど。そこへと収まるつもりは毛頭ないのだと。そこから先のどこかへ踏み出すことの方こそが、自分には楽しみなんだと。もっと向こうを見ている人だというのが判って、それで。僭越ながら、誰をも何をも相手にしていないかのような進さんに思えて、それが何だか怖かったって感じたの、やっぱり自分の勝手な先走りだったんだってところまで、こんなに短いやり取りだけで、じんわり滲むような優しい温度で、気がつけたセナくんだったりしたそうで。
――― 汗、一杯かいてらっしゃいますね。シャワー室へ行かれますか?
そうだな。桜庭が昼は皆で過ごそうと言っていたから。
そうでしたか。じゃあ、それまではお時間もありますねvv
本当の弟でもこうはいかない。それは愛らしくも柔順で、しかもしかも、さっきの会話の…傍で聞いていた分には何が何やらという言葉少なな中での、何とも凄まじき以心伝心ぶりであったことか。絆の誓約で結ばれたご兄弟というものは、こうまでの深きつながり、敬愛と慈愛とを厚く育てるものなのかと。一部始終を目撃なさった皆様方が、揃って呆気に取られてしまわれたまま、武道場を後にする二人を見送ってしまったとか。いやはや、もはや色んなものを飛び越えているという点では、先の騒動を自分たちだけにて収めた誰かさんたちと さすがお友達同士という翔っ飛びよう。このまま深まりゆくのだろう秋も、その次に訪れるのだろう寒い冬さえも、ほっかほかで過ごせそうな楽しげな背中には、光線の加減で穹まで舞い上がれる翼まで見えそうな勢いだったりし。
――― あとで向こうの先輩の皆様から、からかわれたりしないよう、
甘ぁ〜い羽目外しも どうかほどほどにね?
〜Fine〜 06.9.22.〜11.17.
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*何だか妙に時間が掛かってしまいましたねの、アドニスさんでございまして。
これ以上引き伸ばすと、
進さんに問答無用で一刀両断されかねなかったですね、はい。(ひやひや)
ちょうどお侍さんにハマってしまったもんだから余計に、
演武の描写はむだに肩に力がかかってしまってたかもでございますが、
どうか少しでも楽しんでいただけますように。
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